壁が薄すぎて隣に住んでる神様の啓示がいつも聞こえてくる物件 2014年12月30日 ネタ雑談 トラックバック:0コメント:0


「あ~、久しぶりにアインシュタイン論破してぇ~!」が口癖の皆さんこんばんは。
ネコカフェに入店した瞬間にすべての猫たちに舌打ちされる↑野です。

僕以外にも多くの人がした勘違いだと思うのだが、僕は演歌の歌詞の「肴は炙ったイカでいい」の「肴」を「魚」だと思っていた。
しかも小さな子供の頃だけの話ならまだしも、高校生ぐらいまで「魚」だと勘違いしてすごい勢いで鬼のようにツッコんでた。
「『魚は炙ったイカでいい』?いや全然良くねえよ!広末涼子のできちゃった婚ぐらい良くねえよ!良くないナリよキテレツゥ!」
と、夜中の関西のベッドタウンに木霊していた。

滑稽な姿だよね、自分が「肴」という言葉を知らないだけのおバカさんなのに、八代亜紀を頭おかしい人扱いしていたのだから。

しかし、そうやって過去の自分を反省するその一方で、その頃の勘違いしていた自分の立場に戻って考えてみたら、やっぱり「魚は炙ったイカでいい」はすごい内容だと思うんだよね、「魚は炙ったイカでいい」って、傲慢にもほどがあるだろ。
YOUなに魚に勝手な定義づけしちゃってんの?さかなクンさんもこれにはさすがに頭の魚帽子を一旦取って「表に出ろ」ですよ。

しかも、魚という魚介類を、別の魚介類の一種であるイカの、しかも調理済みとイコールで結んじゃってるからね?
八代あいつやっちゃったなと、八代あいつは昔からちょっと魚介類を見る眼がみんなと違ってたけど、とうとうやっちゃったなと。
これにはもうさかなクンさんも表に出した後の八代亜紀に執拗なボディブローとローキックで下半身に意識向けさせてるわな。

言葉にして説明するのがちょっと難しいんだけど、何ていうか「魚は炙ったイカでいい」のこの一言には、すべての理不尽さと横柄さと、遣る瀬無さと、人に対する不信感と、不安や焦燥感、虚無と絶望、そして現象に対する無関心の極地が詰まってるんだよね。

聞いた瞬間は「えっ?」ってなるんだけど、その次の瞬間にわずかな思考停止が訪れ、そして最後に憤りの感情が発ち起こる。
「魚は炙ったイカなのではないか?」ではなく「魚は炙ったイカでいい」という決めつけ、八代亜紀お前…、お前変わったな…。
昔はそんな女じゃなかったのに、あんなに純粋で輝いて、ビー玉みたいなキラキラした真ん丸の眼して、唄ってたのに。
仮に百歩譲って、魚は炙ったイカでいいとしよう、しかしな、お前は炙ったイカならぬ「驕った天狗」なのではないのか?

八代亜紀よ…、そらお前、そらそんな無茶苦茶な歌詞の歌を平気で唄ったりしたら、そらさかなクンさんに下半身の方に意識を下げられて、次第にガードが下がり気味になって上の段のガードが甘くなった瞬間に、ものの見事な左ハイキックでKOされるわ。


確かにあの頃、関西のある町で、僕の頭の中に、見事なハイキックを食らって横たわっている八代亜紀の姿があったんだ。
僕はそれを想像の中で見ながら「あっ、こいつなんだか魚みたいな横たわり方してんな」と思った。

さっきまで意気揚々と自己中心的で勝手な決めつけを嬉々としてやっていた八代亜紀。
これが今ではこのとおり、永遠の眠りにでも就いたかのような静かで穏やかな気絶で、事態に幕がゆっくりと閉じられたのだ。

そう思った。

…しかし次の瞬間、僕は自分の想像の中の思いもしない出来事に言葉を失った。
なんと、僕の頭の中のKO必至だと思われた八代亜紀は、凄まじい執念で意識を取り戻し、ゆっくりと起き上がろうとしていた。


そう、それはまるで、炙られてゆっくりと身をくねらせながら背中を丸めて起き上がる、イカのように。



「魚」が「炙ったイカ」となった、唯一無二の奇跡の瞬間であった。


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