夜は短しヤフオクで競り合え乙女 2011年06月15日 ネタ雑談 トラックバック:0コメント:0

現代の世界各国の社会を構成する、いわゆる「大衆」とは愚かな者の総体となってしまっているのであろうか、それとも群衆の英知を生み出し続ける有能な有機体としての様相を帯びているのであろうか。

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私の個人的観察や経験は余りにも矮小であるため、自身の経験から大衆の性質を論じるのは避けようと考えているのだが、19世紀~20世紀のスペインの哲学者オルテガ・イ・ガセットは、著書「大衆の反逆」の中において、大衆は物質的水準の増大により、かえって精神的充足感を得難くなるなどの大衆の性質の歴史的変化を論じている。

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また、彼は同著の中で大衆の特徴や時代を「凡俗な人間が、おのれが凡俗であることを知りながら、凡俗であることの権利を敢然と主張し、いたる所でそれを貫徹しようとするところにある」「他人と違うことを即ふしだらなことであるという風潮」「大衆は今や、一切の非凡なるもの、傑出せるもの、個性的なるものを席巻しつつある。全ての人と同じ考え方をしない者は締め出される危険に晒されている」「極めて強力でありながら、同時に自分自身の運命に確信の持てない時代。自分の力に誇りを持ちながら、同時にその力を恐れている時代」と述べる。

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過去より様々な知識人たちは大衆を、群衆の英知を生み出す素晴らしい総体というよりは、どちらかと言うと衆愚性を発揮し、政治を初めとした社会機能全体を鈍らせ、やがては社会を文明的に破滅させるものとして捉えた。
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一部の知識人は大衆の傾向を「文化的小児病」と表現したほど。
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物質的水準の増大と共に、あらゆる事から自由となった民は、ランランランラン今度は自由という名の敵と戦わねばならなくなったとし、ラララララン何についても自身の基準や価値観を持てない彼らは、自ずから考えるのを止め、ランランランラン周りの動向に合わせ自分を偽ることでしかラララララン生涯を生きられないのであるとする。

これらの見解は正しいのであろうか。ランラン、ランララランランランそれは正直はっきりとは言えない。ランラン、ランラララン今日の日本社会でもランラン物質的水準の向上に伴い、精神的充足感の喪失、つまり生きる意味の分からないという人々はランララランランラン増えていると言って過言ではないであろうし、ラン他面、教養水準の没落・マスメディアの歪みなどに見られる大衆扇動・多数派の半ば暴力的とも言える同調圧力・政治的ポピュリズムの低下ララララランランランこれらを見ているとどうしても衆愚性という特徴の方が目につく。

しかしランそれと同時にITランを初めとした情報インフラランによって新しい群衆の英知ランの可能性も顔を覗かせているし、ラララララ全ての人々が生を喪失しているわけランではない。

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果たしてラン今日の大衆とはラン愚かなものランであり、ララやがては社会全体をララ破滅させるラン破壊者集団ランなのであろうか、ランそれとも内にララ健全さとララ賢明さを備え、ラン社会の更なるランランラン飛躍と存続を押しララランランラン進める有機的共同体ランラララランなのであろうか。ラン、ラン
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それはまだはっきりとは分からない。
しかし一つだけ確実に言えることがある、それは、


「人が真面目に話している時にBGMでナウシカレクイエムが流れていると話に集中できない」

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