お節料理の海原へ勇猛果敢にダイブする祖母 2011年01月08日 ネタ雑談 トラックバック:0コメント:0

自分で自分の肩を揉んでもそこそこ気持ち良いけど、人に肩を揉んでもらったらそれとは比較にならないぐらいに気持ち良いのは何故なのだろうか。


例え物理的には、揉まれる力、角度、ポイントが全く同じであっても後者の方が超気持ち良い。
それは昔からマッサージを売りにする店がたくさんあるのを見ても分かる。

これはやはり他人から客観的にされるからこそに気持ち良さが格別になるのだと思う。
何と言うか、自分は労力を全く負担せずに、ただ座っていたり寝ていたりするだけだからこその快楽。

例えばお酌。
自分で注ぐ代わりに誰かが注いでくれたら精神的に気持ち良くなる。
グラスも中の飲み物も全く同じなのにも関わらずである。

食べ物をあーんしてもらうのも。
食べ物は全く同じで味も同じはずなのに、人にあーんして食べさせてもらうと気持ち良いし美味しく感じる。

そう、人にしてもらうと気持ちが良いのだ。
これは他の様々な行動を人にしてもらう場合にも大いに当てはまる。
というか世の中の商売なんてほとんどがこういった理屈に基づくものではないだろうか。

自分で料理を作る代わりに料理を作ってもらえる外食料理店。
自分では作れないから服屋さんに行って出来合いの服を買う。
自分の足では遠くに行くのにも時間的・労力的に限界があるから車や電車を利用する。
自分一人では興奮できないから側で冷たい目で見下していてもらう。

世の中の商売のほとんどは自分一人ではできない、もしくは時間がかかりすぎることを他人に代行してもらって、そこに快楽や効率性を感じ、その代償にお金を渡すということで成り立つし、社会・経済は回っている。

単なる時間の短縮や、手に入る財の種類の向上以外にも、この「人にしてもらう」というのが人間にとって何かものすごく魅力的な、半ば快楽にも似た何かを提供してくれるに違いない。
だからこそここまで社会は拡大し、経済も肥大化したのではないのか。

それではその時間効率性や財のバラエティ以外の「人にしてもらうことの魅力」とは何であろうか?
確証は無いが、もしかしたらそれは、「人と人との繋がり」を薄くとも、半ば無意識的にではあっても感じることができるからではないか。

人は一人では生きられないと言うように、人は恐らく常に誰かを必要としている、人との繋がりを感じたいと欲している、例え顕在意識の下ではそれと逆の思想を持っていたとしても。
その半ば無意識の下にある「他者との繋がり」が「人にしてもらうこと」なのではないか。

冒頭で言った肩揉みならば、当り前のことだが自分一人でも肩は揉める。
しかし人に揉んでもらうならば、必然的に他者との距離は近くなり、他者と関係を持つ。
例え間に金銭のやり取りという条件があったとしてもだ。
友情や愛情といったものではなく、金銭を間に挟んだドライな関係性ではあっても、人間関係は人間関係である。

肩揉みのように直接的に誰かと距離を近くにしたり、触れたりしなかったとしても、やはりどこかで誰かが行った結果としての財・サービスを享受するということが、一つの人間関係を生むのではないか。
そして人は意識的、無意識的とに関わらず、そういった他者との関係に快楽を見出すのではないのか。

もしそうだとしたら、友情や愛情には遠く及ばないとしても、この関係は大切なものであると言える。

だから皆さん、安心して僕にお金を渡せばいい。
あなたたちの代わりに僕が精一杯消費してあげますから。

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