PlayStation5は逆にファミコンレベルに成り下がっている 2008年11月06日 ネタ雑談 トラックバック:0コメント:4

やあやあどうもどうもこんばんは愚民ども、↑野です。
さて今回は唐突なんですが、宗教について僕なりの考えを晒していきましょうかね。

そもそもなぜ人は宗教を欲するのでしょうか?
もちろんそれには様々な理由がありましょうが、主な理由はやはり「心のよりどころ」、「自分を助けてくれる何かの存在」ではないでしょうか?

特に「神」の存在というのはかなりの数の宗教に共通している要素であります。
形や姿こそ違えど、日本の仏教ならば仏様、キリスト教ならばジーザス・クライスト。
一神教や多神教と拝める神の数にも違いはあります。

そしてなぜ恐らく目にしたことさえないであろう神の存在を信じ、それを形にまでするのでしょう?
やはりその理由は自分を救済してくれる何か人を超越した存在を欲したためでしょう。

しかしこれら宗教というものは本来的には人々に精神的な安息感を与え、幸福さえももたらすものですが、これに依存し過ぎたり解釈を誤れば一大事ともなります。

特に他の宗教との共存というのは予想以上に難しく、なんせ自分が絶対に正しいと信じて疑わない教則や神とは全く違うものを他の宗教に属する人間は信じているという事実がそこにはあるのですから。

ここから宗教どうしの争いや不和・軋轢が出て来るのもある程度仕方ありません。

この世の全員が多文化主義というわけではないですし、全く違う宗教を認めることはすなわち自分が信じる宗教を否定すると考える人々も確かに存在するためです。

イラク戦争やロシアのチェチェン紛争なども宗教による不和が主な原因の一つと言えます。

さらに歴史を遡れば宗教が規模に関わらず、いろいろな争いや迫害を巻き起こしたり、国民を統制して国を治める手段としても利用されてきました。

また、これほどまでに科学が発達し様々な情報が行き交うようになった現代社会においてさえも昔と変わらず宗教を信奉し神の存在を確信する人がたくさんいます。

それは裏を返せばそれほどまでに宗教には人々にメリットを与え離れ難いものがあるということでしょう。
しかし先程申しました通り、過去から現在まで宗教の違いが、不和軋轢を生み様々な問題を巻き起こしているのは事実です。

これは見て見ぬふりをするわけにはいかない問題ですしだからといって宗教を禁止するわけにはいきません。それはではまた別の争いや一揆が起こるだけです。

ではどのようにすればこれらの問題を解決しながら人々が宗教による恩恵を享受し、幸せに暮らすことができるのでしょうか?

私はこの答えを知っています。

↑野教に入るのです。

そう、世界中のすべての愚民が↑野教に入信し、私の加護を受ければ万事うまくいくのです。
想像してみてください、世界中の国籍も文化も人種も違う人々が↑野教の名のもとに幸せに暮らすそのさまを。

神は私だけでいい。私↑野が、↑野だけが全知全能の唯一神なのですから。

さあまずは指定する口座に一人あたり1200万の寄付金を寄せるのです。
大丈夫、必ず幸せになれます。私と共に新世界の住人となりましょう。

さあ、迷える子羊たちよ、↑野教に……入信するのです。
(↑野教…それは未来への扉、明日への光…)
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