クッキングパパ「できたぞマコト、女体盛りだ!」 2010年09月17日 ネタ雑談 トラックバック:0コメント:0

↑野です。

ポケモンが社会にもたらした影響は良くも悪くも凄いものがあると思うわけです。
僕が小学3,4年生ぐらいの頃に初代ポケモンが世に出され、僕もその後のクリスタルまで楽しんできた身なので、それなりに語る資格があると考えさせていただいておりますが、やはり自身も凄い影響を受けた気がします。


まずポケモンには子供たちに決して良くはない影響を与える要素が多々あると考えています。
なんせポケモンという名の動物や虫的な生き物をモンスターボールというお手軽捕獲器具にて即座に捕まえて、監禁しつつ持ち歩き、完全服従をさせ、必要な時にそれ行け!と出しては右も左も分からぬポケモンたちを戦わせ、瀕死にさせる事さえも辞さないゲーム。

しかも子どもたちはそのことに、人間が神の代わりとでも言わんばかりに他の生物を思いのままに操り、殺し合いにも近いバトルをさせてそれを満面の笑みで喜び打ち震える、それはまるで古代ローマにおけるコロッセオを彷彿とさせるような、人間の残虐な一面を映し出す鏡。
人類は遥かなる過去において奴隷たちを、同じ奴隷や猛獣と戦わせ喜び、現代においてはポケモン同志を戦わせて同じく喜ぶ。

また、ポケモンには多彩な技があり、時に相手を切り刻み、時に相手を煉獄の業火を以て焼き払い、時にまるで拷問のように相手の生命力を少しずつ削り取ってゆく残虐性極まる技で相手のポケモンをこれでもかと痛めつける。
その最たるものは「じばく」「だいばくはつ」である。
自分のポケモンを瀕死状態に追いやる代わりに相手のポケモンを完膚なきまでに破壊し尽くす。
「お前自爆して来い」と言っているようなものである。
これには自分の利益の為なら他の動物や、時には同じ人間さえもどうなっても構わないとする究極的な自己本位の考え方や、皆の勝利の為に一つや二つの命など爆ぜて然るべきとする極度の軍国主義的傾向を育む温床となるのではないか。

普段は「ピカチュウ可愛いからピカチュウ育ててるのお」と愛らしい笑顔で言う子供たちも、バトルとなった瞬間にその天使の如き純粋な表情を悪鬼の如きそれに変え、たちまち残虐なバトルにて己のポケモンを傷つける。
ここであのお決まりの言葉が脳裏に蘇っては来ないだろうか?ニュースなどでよく聞かれる、「普段はとても大人しい子だった」「真面目で愛想も良くってそんなことする人には見えなかった」というあの言葉。
もしかしたらポケモンとは、善良であるはずの人間さえも途端に悪魔へと変えてしまうゲームなのかもしれない。

それではポケモンとは悪いゲームであるのか。
それも一概には言えないということが分かる。

今時のポケモンとは、僕自身がプレイしていたころよりもオンラインという方法によっていつでも多くの人たちと「対人的な」勝負が出来る。

もちろんかつてもあの懐かしの通信ケーブルという器具を使って人と対戦することは出来たが、直接ゲームボーイを持ち合わせて行うという形式上どうしても友達や知り合いとしか対戦しにくいという部分が拭い切れなかった。
しかし現在のオンラインポケモンバトルにおいては顔も知らない、会ったこともない不特定多数の相手と戦えることで、多くの人間がいることを間接的に知り、関わることもできる。

相手がコンピューターではないことで、一元的な打倒法の確立は難しく、相手によって戦略というものを考えて戦わなければ勝つのが難しくなる。
限られたポケモン数限られた技の数とは言え、様々の組み合わせ、戦略、運の要素が複雑に絡み合い、安定的に勝ち続けるにはかなりの試行錯誤と努力が強いられる。

これらの対人的バトルを繰り返すことにより、三つのことを自然と得られるのではないか。

一つは、戦略を以て正しい道筋で考えアプローチしていくことの大切さ。
これは先ほども言ったように、多くのポケモンと技を駆使して自分なりに、また、他人のアイデアを巧みに取り入れながら、戦略を立てて考えながらバトルをすることにより育まれる。

二つは、他人と良い意味で競争する環境を持つことによる他人との関係の中での努力という習慣の形成。
ポケモンプレイヤーは日本国内外にかなり多くおり、それぞれが巧みな戦術を用いて戦ってくる。
この中に自分も参戦して試行錯誤を重ね、時に負け時に勝利するという経験は、後の人生における様々な競争的環境にも適応しやすくなる一要因となるかもしれない。
しかも実際の社会の中での様々の悪徳と同じく、ポケモンバトルの中にも、改造やチートと呼ばれる努力無くしてずるを働き不正に勝利する方法もある。
この不正を直接経験することで、社会には理不尽なこともあると一歩先に知ることができる。
逆に自分が不正にポケモンをプレイして勝利しても、勝って当たり前であるために、その勝利に深い感動はおそらく味わい得ないであろうし、罪悪感を感じるなどして不正を働く虚無感を知ることにもなるだろう。
努力無きところの勝利や何らかの結果など、単なる虚飾であり、結局のところ空虚に苛まれるだけであろう。
それらを経験することで、競争環境への対応力や社会的不正への拒否感の形成が期待できる。

三つには、自然と共存することの大切さ。
これは先ほどの僕自身の論と対極をなすもの。
先ほどはポケモンを捕獲し、戦わせ、時に傷つけることにより人間が自然を思いのままに操りいずれ破壊するような要因となるのではないかと言ったが、その逆もまた言えるのではないかという理由からである。
すなわち、いくらバーチャルの世界とは言えポケモンとは人間ではないし、キャラクターデザインも実際に存在する動物や植物をモデルにしたものがたくさんおり、それらを捕獲し、育成することで、人間と自然との共存関係を促すことができるかもしれない。
そして上記では戦わせることを残虐性溢れる行為と書いたものの、実際に動物同士が戦うこと、繁殖のために捕食したり争ったりする場面も多々ある。
ポケモンバトルはそれらの自然の摂理を早くに学ぶための準備となるかもしれない。
さらに、自分が指示したバトルで傷つくポケモンを見ることで、ポケモンへの、延いては動植物への愛着、自然を自分たちの手によって傷つけることの勝手さ、その責任性の自覚を促すことになるかもしれない。
もしこれらの感情が芽生えるとすれば、バーチャルの世界でのことであり、実際に動物を殺したり、自然を破壊することなく、それらの悲惨さを知ることができる有効な機会であると言える。


以上のように、実際のところはまだはっきりとは分からないけれども、ポケモンとは残虐性を秘めた、子供たちには触れさせるべきではない非道徳的なゲームであるかもしれないし、逆に人や自然との中で生きていくことの意味やその方法を少しでも知るためのヒントとなる貴重なゲームと言えるかもしれない。

この世の多くのことがそうであるように、ポケモンも善と悪が表裏一体となった作品なのだ。



まさにブラック&ホワイトである。

人気ブログランキングへ
トラックバック URL
http://ueno3460.blog8.fc2.com/tb.php/363-063d6367
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)