耳かきしながらブレイクダンス 2010年08月15日 日記 トラックバック:0コメント:0

この世にはピンク色のウサギがいると思う。黄色いスイカ、白いトウモロコシ、黒いトマトがあるぐらいなのだからきっとピンク色のウサギはいるのである。このような色違いの動植物の存在は、単に人間が遺伝子をイジって誕生させるもの以外に、偶然の突然変異によって自然界に現れる場合もあるとされている。ということであれば、やはりピンク色のウサギがいてもなんらおかしいことはないのである。少なくとも、ピンクのウサギなどいないとする仮説には半永久的に反証可能性が付きまとう。天使のようなピンクのウサギに含まれる悪魔の証明である。


それではピンクのウサギは、色以外の点で普通のウサギと一体どこがどう違うのかと考えてみると、生物としての本質的な部分はほとんど変わらないのではないかと推測できる。それは、黄色いスイカが赤いスイカと著しくその味が違っているというわけではなく、紫色の玉ねぎを生で齧れば普通の玉ねぎと同様に鼻にツンときて涙が溢れるということを考えてみるとそう思われる。ピンクのウサギは恐らく、あまり鳴かず、草食であり、時に自分の排泄物を食し、純粋無垢で吸い込まれそうな瞳を持つ、普通のウサギとあまり異ならない生物であるだろう。

しかし個人差というものはあれど、誰しもピンク色のウサギを見れば驚きの感情と共にほんわかとした幸せを感じることができるのではないだろうか。色違いの野菜を見てもわずかな驚きと高揚感を覚える人は少なくないと思われる。そうだとするならば、ある日自分がピンク色のウサギを見つけた時の幸福感たるやきっと凄まじいものがあるに違いないのだ。ここが普通のウサギとは最も違う部分であると僕は考える。物理的には単なる色違いの同種の生物がそこにいるだけ、しかし我々人間の繊細な感性はそれを幸福感へと誘うに違いない。日々の些細な物事に対して幸せを感じる傾向が強い人ほど敏感に反応するだろう。

かの有名な青雲というものも「青雲、それは君が見た光。僕が見た希望」とまで言われている。普通日中雲は白く、夕方や朝方、雨天時などには様々な美しい色にその雲体の色を変化させるが、青色に変化することはまずない。その雲が青く染まっているのを見たとき、個人差こそあれど、それを光と感じたり、希望とまで感じると言うのである。このことからしても、色違いのものを見る幸福感というものは相当に大きなものと言えよう。

以上のように、普通は白色や茶色や黒色が当り前のウサギがピンク色であったならばそれは途端に幸福への道標となる。ということは、その逆に、普通は色がピンクや茶色や黒色だけれども、白い色のものにも、ピンクのウサギと同様に幸福を感じることができるのではないだろうか。果たしてそれは一体なんであろうか。


乳首である。

白い乳首はピンクのウサギと同程度の幸福感をもたらし得るのである。真っ白い純白の色に染まった乳首を見たならば、この虚しく厳しい人生に多大な光が差し込み、途端に幸福感に満ち満ちるであろう。

そして人とは幸せに向かって生きる生き物である。しかも全員に共通するある決まった幸福への確かな方法と呼べるものは無く、それ故に幸福になるのは難しく、時に一生をかけてそれを追い求めて試行錯誤し生きるのである。ピンクのウサギや真っ白な乳首は、その幸福のための一つの要素となるのではないのか。この空虚で厳しく醜い世界に一筋の光を与え、人生に彩りを与える宝石となるのではないのか。幸せを目指すのならば、これらピンク色のウサギや真っ白な乳首の存在を肯定し、それを見つけるべく邁進しなければならないのではないのか。

だから僕はピンクのウサギと真っ白な乳首を探している。ピンクのウサギか真っ白い乳首が見たい。

いや、もうこの際ピンクのウサギとかはどうでもいいから真っ白い乳首が見たい。

いや、もうこの際白色とかそんなのはどうでもいいから乳首が見たい。

いや、もうこの際、


僕は女子高生の乳首が見たい。

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