ニセモノの文章力 2009年12月01日 純ネタ トラックバック:0コメント:2

季節は巡る、四季を転々としまた同じ季節がやって来る。

しかし私はふと思った、同じ季節など来たためしがないのだと。
イチョウ並木の葉は毎年緑、黄色、そして落葉へと変化に次ぐ変化を見せる。
しかし毎年全く同じ緑の葉はなく、毎年落ち葉は異なった軌道を描いて地に堕ちる。


私の通う大学には立派なイチョウ並木がある。
手前から奥に向って坂になっているためにそれが錯覚を見せ、イチョウ並木に壮大かつなんとも不思議な立体感が生まれている。

大学に通い早くも4年目となる私にはそれも見飽きた風景だ。
見飽きたはずだった。

しかし先日ふとその並木に足を止められていた。
何故だろう、とても美しく見える。
何度も経験した秋なのに。

違っていたのです。
何度も経験などしてはいなかったのです。

同じく見えていたはずのイチョウの葉の色は一様などではなかった。
よく目を凝らして見れば全く同じ色では構成されていない。
木によってはわずかに緑をほんの少し残し、それがまた他の黄色さえも変えてみせるのだ。

全く同じ緑さえなかった。
一つの樹の一枚の葉でさえ同じ色を宿すことはない。

そう考えると途端にイチョウ並木に宇宙にも似た無限性を感じた。

周りの景色の変化にも目をやる。
入学した頃にはなかった新しい校舎がイチョウ並木の入口の両サイドに出来た。
1,2年前の話である。

まさかそれが全く同じイチョウの木の見栄えをこんなにも変えることになるとは思いもしなかった。
そうなのです、周りの景色の変化が他の景色にも変化を及ぼすのです。

その日の気持ち、天候、並木道の下を通る人々さえもが風景全体を構成し、我々が今見ている景色はもう二度とその目に戻っては来ない。

驚くべきことです。
しかしこれは何も風景に限らず日々の生活にも言えることなのではないだろうか。

人はよく口にする、
変化がない、同じ事の繰り返し、刺激が欲しい、一度きりの人生なのだからと。

しかし同じ事は繰り返されていないし
同じ刺激もその身に感じられていないはずだし
日々何もかもが変化を見せている。

それに気づかぬだけである。

変化など求めずともすでに日々はあわただしく変化している。
欠けているのは日々の中にわずかな輝きと喜びを見出すその感度なのである。
考えてみて欲しい、本当に日々が同じなのであればそこに憂鬱な感情さえも芽生えはしない。
変化がないということはある感情に陥ることもないのだから。


本当に幸福な人生に必要なこととは日々の微細な表情の変化に気づきそれを享受し喜びとすることができるかということなのかもしれない。


※(以上が僕が「ホンモノの文章力」:樋口裕一著の第四章 作文・エッセイの書き方を読んで書いた練習文です。僕のようなあまりにも文才の無い人間には無用の長物だったことだけは分かりました。ということで次回の記事からは古代エジプト楔形文字で更新します。)

人気ブログランキングへ
トラックバック URL
http://ueno3460.blog8.fc2.com/tb.php/273-a1afee0d
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)