(問1)次の言葉を用いて文章を作成しなさい 「いきり立つ義父のそれは勇ましく」 2009年12月03日 日記 トラックバック:0コメント:6

どうもこんばんは↑野です。

誰も得しない自分語りなど今に始まったことではないので、需要など一切ないと理解しつつ書かせてもらうと僕はかなりの天の邪鬼なんですね。

じゃっくじゃくですよ。
初めて僕を見た人は僕の本名を天野ジャックと予想するんでしょうね。


もうね、周りと同じ事はしたくないとかいうレベルではなくてですね、なるべく人と逆のことをしたいんですね。ここで言う人とはもちろん多数派、一般大衆に近い人々を意味します。

ほら、僕よく死にたいって言いますけど、それは世の多くの人々が生きることに前向きだからですよ。人々が元気に生きてたら僕は飼われて8年目のハムスターぐらいすぐに死にたいんですよ。

だから僕流行りの言葉とか物とかにはあえて疎い態度でいますし、そういったものを少し嫌う癖もあるのですね。たとえ流行りのものが良く思えてもこの僕の中に眠るジャック・アマノさんが決してこれらを認めることを許してはくれません。

iPodが流行すれば僕はそれを冷やかな眼差しで見つめ、自分自身は煩わしいコードに絡まりながらMDウォークマンをジャケットのポケットに入れて音楽やら英語の音声を聞き浸ります。
もし国が他人のiPodをかち割ってもいいという法律を出せば僕は明日から大学のチャラい男女のiPodを割って周ります。iPod nano だけは勘弁しといてやろう。

そんな僕が携帯電話やパソコンを持っているのも社会環境的にこれらがないとやっていけない地域に住んでいるからです。都会に住んでいなければ携帯なんて今すぐイノシシの通りそうな所に置いておきますし、パソコンなどは器械体操吊り輪競技の選手着地点に置いておくことは間違いない。

もちろんこのような天の邪鬼スタイルを維持するのは正直しんどいですし、非効率的なことも多いわけです。

例えば僕はTOEICや簿記などの有名な語学検定や資格試験を受けたことがありません。
大学生の誰もが一度は受験するお馴染み試験だからです。

おかげで今では無資格です。
今の僕に社会的・人材的価値など皆無なのです。生きてる資格すらあるのか不明です。

しかしこれだとやはり困っちゃうわけです。
上記のような大手の試験は社会的に名が通っており評価がされ易く、受けるのならこちらの方が圧倒的に有利と言えるはずです。そんな博多っ子検定とか持ってても世間はおろか好きなあの子も振り向いてはくれないのです。(※博多っ子検定は実在します)

そんなとんこつラーメンに入れるべき最適な紅ショウガの量を勉強したところで僕にとってはあまり意味をなさないのですね。まあ、博多出身者のフリをして九州男子好き女子を落とすことには一役買いましょうが、ってなんば言いよっとね。

…まあ、こんな空気になりますよね。

しかしだからといってすぐさま流行に乗ったり多数の人々と似たようなことをして生きていくことは僕にとってもっと辛いわけです。僕の口から「マジあり得ないんですけど?」とかいう言葉が出ることは次の皆既日食ぐらいまでありません。

大衆の価値観に迎合すべきだと感じる場面も多々あるのですがやはり心も体もそうは動いてくれないのです。
TOEICぐらいは受けようかと思いますが、もっと高レベルの画一的な社会通念や人生観には決して同意できないのですね。まあそれが問題とは全く思っていないのですが。

マシな言い方をすれば変わってる人で悪く言うと軽度の社会不適合者なのかもしれません。

正直幼いころからずっとこうだったのでもうこれからも変わらないと思うんですよ。
昔から皆が目の色変えて必死でやることに何の魅力も感じずに今まで生きてきたので。

なので雑誌に「今モテるのはずばり亭主関白系男子!」とか載ってたらすぐに僕は全裸に亀甲縛り状態で電車の線路の上に置き去りにされたいですし、「この冬は綺麗めダウンジャケットで決める!」とあれば全身タイツで箱根駅伝の選手のすぐ横を並走しに出かけるわけです。

しかしこれらはそんなに悪いことでもないのだと思います。

これは最近見た本の受け売りなんで得意げには言えないんですけども、天の邪鬼とは逆説的性格なわけです。世間の様々な一般的価値観や動きと逆をゆく。例え本人がそれをいいなと思っていても。
それでもそれは決して不毛なことではないのです。

何故ならそこに多様性が生まれるからです。

一般論、多数派の意見や行動と逆があるから議論や様々な発展が起きる。
複数の異なる意見の渦巻く議論からは内部で淘汰が起こり、一つの意見からスッと生まれ出たものよりさらに素晴らしいものを生み出すことも多い。一党独裁がなぜ誤った方向に向きやすいかはこのような部分にヒントがあるはず。

一見不必要に見える種の生物も、それらが欠けてしまえば途端に生態系の種の多様性が失われ、いずれ食物連鎖の変化や環境の悪化を招くことにもなります。

ということは何事にも多数派の逆をいきたがる僕のような人間も一見邪魔に見えて実は必要な存在なのかもしれません。半年ぶりの自画自賛。

それにこれは天の邪鬼とは少し違いますが、相対主義の立場で物事を柔軟に、時に逆説的に考えることは社会だけではなくそれをする本人にも効用があるようです。
世間の一般論に安易に流されず、自分の思考力と道徳心によりいろんなものを判断するというのは自分をしっかりと持って生きているということにもなるでしょう。

別に何ごとにも疑心暗鬼になれということではありません。素直に疑問を持つ余地を空け、物事を自分の思考のふるいにかけ、残ったそれを信念として抱いて生きていくという本来的には当たり前のことです。

まあ要約すると社会には曲がり者、多様な価値観も必要だということです。こんなことを言いたいがために何をこんなにタラタラくだらないことを書いているのでしょうか。

っていうかそもそも僕がブログなんてものを続けているのも、ブログの意味のなさ、ブログ=自己表現病・自己満足ツール論をよく聞くからなのです。ビバ天の邪鬼!

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