離婚原因1位:なんかもみあげの形がむかつく 2009年11月11日 日記 トラックバック:0コメント:4

今日電車で帰っている途中の目黒駅でサラリーマンの方々の帰宅ラッシュに遭遇したようで、人がどっと乗り込んできたのです。

いくらサラリーマンという存在を忌み嫌う僕であっても彼ら自身が嫌いなわけではありません。
むしろ彼らもこの歪んだ社会という名の牢獄に捕らえられた被害者であり慈しむべき人々なのです。

僕は端に身を縮めて菩薩の精神で彼らを迎え入れました。
もうここまできたら菩薩の精神とかではなくて菩薩が僕を見習うレベルです。

するとスーツに身を包んだ社会の歯車どもに紛れて私服姿の中学生ぐらいの女の子が乗り込んできたのです。
別に珍しいことでも何でもなく、気にすることなどないはずなのですが、一見して明らかに分かるほどその顔に厭世の表情を浮かべていました。もう明日にでもこの世との関係を絶ってしまわないかと心配してしまう程に。

正直ここ最近の僕と同じような雰囲気を醸し出していたので、こうなると嫌でも気になるというものです。


しかもその女子は偶然にも僕のすぐ隣に来たので、これまた変な意図は全く無しに、ひたすら気になったわけでありますが、よく見ると大切そうに一冊の本を抱えていました。
どこかの図書館のシールが貼ってあるので借りているのでしょう。

人の趣味を軽い出来心で垣間見ようとするのは良くないことだと思いつつもやはり僕も一人の人間ですのでその本のタイトルをちらっと見てしまったのは仕方がないというものです。

「人と深くかかわらずに生きる方法」

確かにそう書いてありました。
正直それを見た瞬間、間違いなく今月一番面白いと感じて笑いを抑えるのに必死でしたが、すぐに失礼に値すると判断して自粛しました。

やはり見かけだけではなく実際に厭世家と判断せざるを得ないようです。

(しかしこの歳で社会に絶望しているのか…)
(学校か家庭で何か辛いことでもあったのだろうか。)
(強く生きて欲しい。とは言ってもその難しさは自分もよく知ってるしな…)

やはり社会の歪みとも言うべきこのような場面に出くわす度に心のどこかがチクリと痛みます。
これを見てもまだ世間は豊かさの方向性を見誤ったままに突き進んで行こうと画策するのだろうか。
現にここに少女が一人精神を削りながら日々を生きる羽目になっているというのに。

そうしてこちらまで厭世の気を煽られていたところ、そんな個人の心情など関係なく列車は動き出すわけです。

するとどういうことでしょうか。

別にそこまで満員状態というわけではないのにもかかわらず、少し列車が揺れる度にその女の子はしきりに自身の股間を僕の右太もも中央辺りにこすりつけるかのように密着させてきた。

仕方なく僕は体の向きを変えて彼女に背を向けるように身を反転させた。
今度は尻に股間を密着させてきた。


お前今すぐその本返してこいよと思った。

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