今なら抽選で「虚無感」が付いてくる! 2014年06月20日 日記 トラックバック:0コメント:0

「人生とは毎日がワールドカップ開催中であり、自分は常に自分自身のサポーターだ」が口癖の皆さんこんばんは。
全く柴犬を飼っていないのに柴犬を散歩に連れて行く妄想をしすぎて、柴犬の幻覚を作り出すことができるようになった↑野です。

ドンびきされるかもしれないが、今年サッカー・ワールドカップが開催されることを、つい二週間前ぐらいに知った。

そんな、浮世離れしすぎて足が大地からも離れ、やがて宇宙にまで達し、真顔で「地球は青かった」と言いそうな僕ですが、普段テレビ観ないし、新聞も読まないし、ネットニュースなども見ないため、ほんとにこんなことが起こってしまった。

あと、先日人と話してる時にさり気なく言われてめちゃくちゃびっくりしたんですけど、山手線の駅が一つ増えるそうですよ!
奥さん、知ってました?

こういうレベルなのである。

世間では「情報化社会になって久しい今日の日本社会においては、『情報ダイエット』が必要です!」とか言ってるけど、あれで考えたら俺とかもう身体ガッリガリだから、三日間エサもらってないチワワだから、悲しい眼をしてこっちの方見てくるからね。
火垂るの墓の節子並みに力なく横たわりながら「兄ちゃん…、はい、おにぎりどうぞ…」って言いながら泥団子差し出してくるレベルだからね、っていうかもはやミイラ化しちゃってるから、俺は情報ミイラだ!クフ王もびっくりだね。

しかし弁解させてほしい。
なぜこれほどにニュースを観ないのか?というと、大学一・二年生ぐらいの頃は、ある程度テレビも観ていたし、新聞もとってた、ネットニュースもたまに覗いたりしてたわけですよ、それどころかカッコつけてCNNなんかの海外ニュースも観たり、Newsweekだのクーリエジャポンだの数種類のビジネス雑誌まで立ち読みしていた頃もあったよ、でもね、悲しいかな、全くといっていいほど役には立たなかった。

そこで、三年生ぐらいになってから、本当にこれらの情報摂取の習慣は必要なのかどうか試してみよう!と思い立って、テレビも観ず、新聞もとらず、ネットニュースも閲覧せず、という実験の日々を送ってみたのだが、これまた悲しいほどに「問題なかった」。

そう、人は、特に現代の人間は、情報の乏しさにではなく、むしろその過剰さによって、苦しめ貶められているのではないか。
日々の様々な暗いニュース、些末な情報に右に左に踊らされていた過去の自分に気づき苦笑の表情を浮かべてしまうほどに。

過剰な情報へ身を晒すことが、自分にとって真に大切な「何か」に集中することを阻害されていたのではないか。
我々にとって本当にあれらの情報は必要なのであろうか?万一の災害の際は情報収集が必要なのは言うまでもないが、果たして我々は本当に、耳が聞こえていたのに聞こえないふりをしていたゴースト抱え作曲者を鬼のように責め立てることが自己の人生に必要なのだろうか?政府の動きや大企業の動きは確かに影響力もあり大切だが、結局、トルストイもマザーテレサも言うように、社会全体の完成とは「一個人や家庭の幸福、そして市民一人一人の道徳的達成」によってのみ為されるのであり、それが真ならば、我々はまず政府がどうの企業がどうの、外国がどうの以前に、我々自身の内なる己と真摯に向き合い克己の精神を養成すると共に、自己の周辺の人間に対する利他の実践と博愛的習慣の確立ということこそが優先されるべき課題なのではあるまいか?

そう、結局はすべて『愛』なのだ。
愛があればすべてよし!愛さえあれば他に何もいらない!愛が社会を地球を救うのだ!キスミーベイベー!!

些末な情報に踊らされて本当に大切なものに目が向かなくなるぐらいなら、俺は積極的に浮世離れている!
浮世も憂き世も離れに離れて天に向かってどんどんと浮き上がり、そして俺はラピュタになる!


やっぱりラピュタはあったんだ!父さんは嘘つきなんかじゃなかったんだ!!



シーーーターーー!!!!!